自灯明・法灯明

「自灯明・法灯明」
ブッダが遺した最後の言葉です。

正しく理解できてませんが、
「知っておいたほうが
人生が豊かになる感じの言葉」
という感じで大切にしています。

様々な解釈がありますが、
引用させて頂くと

何ものにもすがってはいけない。他人にはもちろん、私にもすがってはいけない。
私はもうすぐこの世を去る。自分自身を「洲 (しま) 」として、
自分自身を拠りどころ (頼り) にして生きていきなさい。
そして「私」ではなく「法 (正しい教え) 」を頼りに生きていきなさい。

ヒゲおじさんのおうち実験ラボ様より一部引用
https://higeojisan-lab.com/buddha-jitomyo-hotomyo/

僕なりの解釈をすると
師匠を神格化し100%正しいと思うな。
誰かを拠り所にするのではなく、
誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく、
自分自身が見た事実を拠り所にしなさい。
その上で現実と向き合い、
目の前に存在する法(ルール)を大切にしなさい。
といった感じです。


僕は仏教に詳しくないので好き勝手に理解しています。
(もし全然違うぜ?って方が見えたらご教授お願いします!)

なにかに触れた時、
事実なのか?
解釈なのか?
価値判断なのか?
を区別する必要があると思っています。
目の前の事実を見ることが大切ってことですね。

セラピストとして学び始めると、
様々な教えに触れたり、
触れさせられたりします。

僕自身も、
マイオセラピー、オステオパシー、
リンパドレナージ、筋膜リリース、
ヒーリング、AKA、経絡、内蔵リリース、頭蓋仙骨療法、ボバース、古武術、
心理学、哲学、地政学等々学びました。

これらが上記で言うように、
「法(正しい教え)」なのでしょうか?

個々の理論・技術には一定の効果があるのは事実です。
本当に素晴らしい体系化されたものも多いので、学ぶことで無駄になることは全く無いと考えています。

でも、
これらが法(正しい教え)なのかというと違うと考えています。
僕にとっての法は、
「理論・技術が正しいかどうか全ては相手(患者さん)が決めること」
です。
これが自分の法(法灯明)になっています。
そして相手の望んでいる物(事実)を提供できる自分自身であることが自灯明になっています。

世の中にある様々な理論・技術は
とても素晴らしいものも多いです。
でも、
それを喧伝している情報には、
その人にとっての事実・解釈・価値判断が含まれています。
創始者の思惑とは違ったものになっているものもとても多いかと思います。

氾濫する情報に惑わされず、
自己責任の元、
目の前の事実を踏まえて、
一歩一歩成長していけるといいですね!

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臨床で苦しむセラピストに向けて、 壁を乗り越える為の5つの力を磨き、 【理論】を【現実の力】にするお手伝いをしています。